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2014年8月13日 (水)

不動明王像を探せ

村ノ西ニ枝谷アリ、奥へ二十四・五町其詰りノ山ノ尾ニ○へタル○厳アリ、岩頭光リテ火焰ノ如く、高サ十余丈ナリ、正面ニ不動明王ノ像ヲ彫刻ス、書工ハ巨勢金岡ナリト言フ、サレトモ、其ノ地山樹欝蒼トシテ明カニ之ヲ見ルコト難シ、土俗言フ日ニ映スレバ光明アリ是眼中ニ黄金ヲ○ム故ナリト・・・予(安部恭庵)寛政四年壬ノ春此地ニ至りテ正見ス。

これは「因幡誌」の不動明王像についての記述です。  果たして実在するのか? 以前から気になっていました。

最初にコース図を貼っておきますが、沢部はGPSが全く役に立たない状態(実はこの谷には鉱山の噂が・・その影響かもしれない?)だったのでトラックはないですが、ほぼ川に沿って遡上しています。

Photo

この谷には一度滝を見にきたことがあります、それが最初の旗の位置

P1200040

これから先は初コース、比較的傾斜があり小滝が点在している為、そのつど巻くこととなります。
イワタバコが真っ盛り

P1200051

P1200054

両壁は切り立っており岩も多い、果たして壁が見つけられるのか? ただの沢歩きに終わるのか?

P1200080

P1200089

壁のような滝を巻くと沢が明るくなりました。

P1200103

いい感じ・・・ふと、足元を見ると・・・

P1200105

これが鉱山の採掘跡か? 人一人入れるくらいの小さな穴・・・中には入りませんが。

いい感じの沢だが地図を見る限り、大分奥まで進んだはず・・・と思ったとたん

P1200111

砂防ダム出現・・・どこから資材を運んだのでしょう。  越してみると案の定、きれいな沢は終了。ここからどうするか、像のヒントすら見つけることができませんでした。
このままピストンでは面白くありませんので糸白見林道の最終地点を目指すべく、尾根コースへ変更としました。

その時、ふと前方を見上げると・・・

P1200118

岩壁発見、これが記述の岩かは確証がありません。ただ沢部を直下まで進んでもおそらく見上げることはできないだろうとこのまま尾根を登り、対峙してみることにしました。

P1200125

う~ん なんとも言えない・・・・

そうこうしている内に林道に到着

P1200126

振り返って

P1200131

天気が良ければ氷ノ山・三の丸が正面に見えるはず・・・

さて、ここからは下り尾根に乗り換えます。岩場から皆込谷を俯瞰・・・作業道が延びています。

P1200139

この尾根は二度歩いていますが、まずまずの尾根です。

P1200144

P1200146

三角点 824

P1200157_2

三角点からは少々雑木藪・植林帯も混じります。 そして向かい尾根に岩場

P1200164

沢部からは全く気がつきませんでしたが岩場の多い谷のようです。

①が表題の岩壁?  ②が巨大な岩場

最後になりましたが、②の岩場・鉱山跡は若桜リスプロの方が先行して探検しておられます。

滝は多いものの全体としては、そう・お薦めできるコースではありませんでしたが、朝日が当たる岩壁は一度見てみたいものです。

P12001

違うか・・・?


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山歩き」カテゴリの記事

コメント

これは面白そうですね!

自然・風景だけではなく、歴史を絡めると山歩きが更に面白くなります。

時々記述する「峠の石仏」もその一つ、そのためには勉強が必要なので
まだまだなのですが・・・・

この岩壁・・・年に数日だけ朝日・見る角度により像が浮かび上がる仕掛け
になっているかも?

マロン・・やなかった、ロマンやねえ。
見つかったらすごい!!

私の課題は岩谷堂にある不動院と
繋がっているという
柿原にある観音窟が三度訪れて
空振りのままです。

せっかくの長期休暇ですが、雨・雨・雨 もんもんとしています。

ご承知とは思いますが「因幡誌」の岩屋堂の項には・・・

窟堂村(柿ケ原)・・・堂の後窟の石壁の少さき坑あり
土人口碑に同市小治田村の窟へ通ると云傳たり・・・

同市小治田村とは何処なんでしょう?

ロマンチックですね。
自分は氷ノ山の灯籠岩とか、みたらしの池を捜してました。
山に残る山岳信仰の遺跡、神秘的です。

トラさん こんにちは

山歩きを始めた当初は、ただただ歩く事が目的となり周囲に目がいきませんでした。
歴史・植物等・・・今思えば勿体ないことをしたな~と悔やんでおります。

まあ、逃げるものではありませんのでぼちぼちと楽しみたいと思います。

再度、こんにちは。
私の知るところでは岩谷堂は昔、柿原と呼ばれており
山ボーイさんの「因幡誌」の岩屋堂の項には・・・
窟堂村(柿ケ原)・・・と書かれているのと同じだと思います。

その岩谷堂の人たちが移り住んだのが
現在廃村になっている柿原だそうです。
移住して、故郷の名前を付けたんだそうです。

で、不動堂の奥から柿原の千手堂まで
繋がっているという伝説があるのです。

小治田村とは柿原のことではないでしょうか。

民俗学者で有名な宮本常一氏の著書の中で
柿原集落の文章があるそうで
その本を探している所です。

話は変わりますが
トラさん、灯籠岩と、みたらしの池発見できましたか?
私はどちらもニアミスでたどり着いていません。


http://www42.tok2.com/home/yamaaso/2009/hyonosen_15.html
http://www42.tok2.com/home/yamaaso/2010/hyonosen.html

やまあそさん こんばんは

私も気になったので調べてみました。
鳥取環境大学 紀要 第9.10合併号に柿原の窟堂が写真付きで
報告されていました。
柿原の北 水無瀬山の麓に大きな洞穴・・・面白そう。

灯籠岩・みたらしの池・・・レポート内のM氏とはHP「兵庫の植物観察」
の方でしようか?・・・こちらは少々手強そう、テリトリー外でもあり
単独では行けそうにないですね。

宮本常一氏の本をゲットしました。
明日ぐらいに到着かも。

目次に柿原の項があるのですが
内容はまったくわかりません。
読んでおもしろければ買った甲斐があったと
いうものですけど・・・。

涼しくなった頃にもう一度
千手堂を探したいです。
手前にある千手堂に縁のある
墓石などは見ているのですけど
その奥ではなかったので
どこなのか?

山ボーイさん先駆けで
見つけないでね。

やまあそさん ご安心を・・・見つけても内緒にしておきます(笑)

冗談ですよ、この件はお任せいたします。

やまあそさんはじめまして。
いつもHPを楽しく拝見させていただいています。

とうろう岩とみたらしの池、両方とも発見できました。

とうろう岩は、取り付きの尾根を間違えなければ辿りつけますが、
岩から上が、激しい藪漕ぎになります。

みたらしの池は、現地で偶然にも「HP,NEW私の山登り」方と出合い、
場所を教えていただき発見できました。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-142888.html
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-312923.html

どちらのコースも、人に出会うことも無い静かなコースです。

みました。みました。
すばらしいです。
石仏は(像容は一般とは多少違っていても)
役行者です。

灯籠岩の窟奥にもありそうということなので
それも確認してみたいなあ。

私はとうろうの尾根の隣の尾根を間違って
登りましたが、やはり同じ等高ぐらいから激ヤブに
なりました。

せめてあのヤブだけでも刈ってくれたら楽になるんでしょうけど。
みたらしの池には石仏はありませんでしたか?

やまあそさんへ
石仏は無かったですが、みたらし池の中には、石造りの祠がありました。
天井の岩がだいぶ落ちてきていましたので、石仏は池の中に沈んでいるのかも。


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